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CP肌育工房pipi 幕張本郷

CP肌育工房pipi 幕張本郷

♪子育て中に読んでね

       
「こんな社会・こんな大人に育てたい わたしの願い」
                              代表者の独り言

 ーーーー私は母の背中を見て育った。

それこそ、夜なべ(?)をしている母の背中を見て、泣いたりもした。兄弟でおこずかいを出し合って初めて買ったものは、母へあげるための ハンドクリーム。
わたしのむすめは、何を見て育っているのだろう。そしてどんな大人に育つのだろう。
皆が育てた、かわいいかわいい花畑

こんな詩がある。

   <今日>

今日、わたしはお皿を洗わなかった
ベッドはぐちゃぐちゃ
浸けといたオムツは
だんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが
床の上からわたしを見ている
窓ガラスは汚れすぎてアートみたい
雨が降るまではこのままだと思う

人に見られたら
なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか
今日一日、何をしてたの? とか

わたしは、この子が寝るまで、おっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣き止むまで、ずっとだっこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした。
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅうっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいことと悪いことを、教えた

ほんとにいったい一日何をしていたのかな
たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
でもこう考えれば、いいんじゃない?

今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことをしていたんだって。

そしてもし、そっちのほうがほんとなら、
わたしはちゃーんとやったわけだ。



この詩に出会ったとき、涙が出て止まらなかった。
うれしくて泣いた。なぜ?
それでいいんだよ、あなたはちゃーんとやってるんだよって、教えてくれてる気がして。


今わたしは、公園のボランテイアをしている。
ゴミを拾い、掃除をしたり、花を植えたり、遊具のペンキを塗ったり、おそとであそぼ!の企画をしたり、フリーマーケットを開いたりもしている、でもそのボランティアの会の名前は、「ケセラセラの会」。なんとなく楽しいボランティアの会を作った。
二人から始まったこのボランティア。今では、27名の団体にもなっている。市や、NPO団体の協力もあって、それなりに、あたたかさの伝わる手づくりの公園になりつつある。そんな公園を、いつしか子供達が 「トトロ公園」というなんともうれしいニックネームをつけてくれた。

 この公園を作るには、まず、
リサイクルセンターに行って廃材をもらう。
その廃材で、公園に必要な看板を作る。「きれいにつかってくれてありがとう」とか、「みんなできれいなこうえんをつくりましょう」とか、
腐ったベンチも、その廃材で、リニューアルする。
糸鋸で切る。鑢をかける。ペンキを塗って、ニスを塗って、釘で止めて、針金で固定して、
どれもすべてが始めて使う器具ばかり。しかも子供連れで、、。
なのに、周りの人はみなやさしかった。廃材の選び方、器具の使い方、そして子供達の遊び相手まで買って出てくださった。もちろん子供はすぐにおじさまがたになつき、話し相手、遊び相手にえらんでいた。
 毎週毎週かよいつめ、何とか、それなりに看板つくりも、できあがり。あたたかさが伝わる公園つくりの第一歩。

公園に、手づくり看板をつけたり、ベンチを付け替えたり、手づくりおままごと台も作ったり、花壇も手づくりした。いらなくなったという、敷き石や、砂を頂きに行ったり、花の苗を植えたり、水やりしたり、お掃除も、最初は、すさまじいほどにゴミがおおく、ビン、缶は10袋以上も拾った。不法投棄も絶えない。溝のドブ掃除、木々の剪定、雑草の根ほり、花壇の土掘り、もう、無我夢中で、土ぼこりになりながらも、毎日公園に通った。

そう、いつも子供も一緒だった。

子供は、何を見ているのだろう。
そして、何を考えているのだろう。

「トトロ公園行こうよ!!」今日もまた、子供が私の手を引っ張る。

今日は、おそとであそぼ!の日。
昔懐かしい遊びや、自然を使った遊び、私たちが作った手づくりおもちゃで、誰もが自由に来て 思いっきり公園で、遊ぶ日。
子供達が一番知ってる、楽しい日。

いつしか、公園は、子供の声でいっぱいになっていた。
大人たちも、本を読んだり、お弁当を広げたり、くつろいでいる姿も、多くなった。
花を育ててくれる人が 増えた。
みどりが 増えた。
あいさつが 増えた。
つながりが 広がった。

遊具のほとんどない、何にもない公園だけど、みんなたのしそう。

みんな あそんでる。

私達の活動は、きっとこれからも続くでしょう。
つづけていきたい。

子供達が大きくなっても、ここで得た、人のやさしさ、つながり、思いやり、みどりの大切さを 忘れないために。
そこに植えた種が、みんなで育てて、きれいな花を咲かせるように、
できるだろうか?
平凡かもしれないけど、わたしの背中を見ていてねって、子供達に 願いながら。
そして今日も 私は、公園に行く。
子供と手をつなぎながら、
お花にお水をあげに、
あいさつをしに、
公園に行く。

ケセラセラ。
なるようになるさ。
と、思いながら。
5月夢中です


 
((( おそとで あそぼ! )))開催にあたり、遊びについても皆で考えて見ましょう。
 おそと、、の目的。お外であそぼ! 水浴び


公園に来てもらう。ー楽しく遊ぶ。ーちょぼら活動を知ってもらう。
⇒また公園に来たくなる。
一緒にボランティアに誘う。⇒ 仲間が増える。
世代を超えた交流、ふれあいの場所造り、⇒3世代交流。
昔遊びは、懐かしい遊び?新しい遊び。土遊び。⇒遊びは工夫、想像、体験を養う。
公園のあそび方(外で遊ばない子供たち)⇒時間、空間、仲間を与えてあげる。
大人も、子供も思いっきり遊ぶ。⇒大人とのふれあい、社会力を養う。
自由に、でも責任を持ってがルール。⇒長屋暮らしのような、子育て環境公園。

そのほか、おそとであそぼ!のページをみてね。足つぼロード


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 ◎参考にした記事、文書など。^^ )^o^(

 <あそび>とは? 皆も一緒に考えてみよう。

 「こどもの外あそび」  NHK/読売新聞より  世論調査

 内閣府は24日、「体力・スポーツに関する世論調査」の結果を発表した。
今の子供が外で遊んだり、スポーツをしたりする環境は、自分が子供のころよりも「悪くなった」と思う人が64.1%に上り、「良くなった」の21.5%を大きく上回った。
 調査は今年2月に全国の二十歳以上の男女計3千人を対象に行い、2109人が回答した(回答率70.3%)。
 子供が外で遊ぶ環境は「悪くなった」と答えた人に、どの点が悪くなったかを複数回答で聞いたところ、
「自由に遊べる空き地や生活道路が少なくなった」が69.4%で最も多く、
「スポーツや外遊びができる時間が少なくなった」51.6%、
「仲間や友達が少ない」41.6%と続く。
この1年間に「週1回以上」運動やスポーツをした人は38.5%で、
2000年の前回調査より1.3ポイント増えた。
 また、この1年間に運動をしたと答えた日とは68.2%。
運動の具体的な内容(複数回答)は、ウオーキングが37,2%で最も多く、
体操(ラジオ体操など)15.9%、ボーリング13.2%、軽い球技(キャッチボールなど)11.9%、ゴルフ8,3%の順。
 ベスト4の順位は1994年の調査以来4回連続同じだった。5月ダンボールハウス


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あそぶとはそもそも、誰に対して使う言葉なのでしょうか?
いえいえ、世代は関係なく、遊びは必要不可欠なんです!!!

? 子供はなぜ遊びが大事なの

? あそびに必要なモノは何

? 遊びを通じて何が得られるの

皆さんはどう考えますか?

私は自分のこれまでの体験でしか、物事を計れません。それでも、小さいころ、遊びはいっぱいしたほうです。子供が生まれ、育つ。今、自分がそうであった時代を思い出すことが多くなりました。だからこそ、今、じっくり遊びについて考えられるのかもしれませんね。


先日、ボーネルンド社の会員通信誌の中で、汐見稔幸さん(東京大学大学院教育学部研究科、教育学部教授)のインタヴューの記事に つくづく感心してしまいました。

ここですべてを記載することはできないので、項目だけ、ご紹介しますね。
要点だけを抜粋、省略でご紹介してます。


「あそび」は「まじめ」に直結していく

* なくなってしまった ”放牧環境”

昔の遊び場は、空き地などであそび、暗くなると家路に着くものでしたが、いつのまにか、大人の住みやすい環境作りのため 無駄な空間はすべて遊具がある公園に変わっていく。そして、ここであそぶという制約を行政はした。子供は本当は、滑り台を逆から登ってみたい。ブランコよりも、木に登ってみたい。でも、それをするとダメだといわれる。砂場以外の場所をスコップで掘ったら、また怒られる。
 自分の頭を使って工夫して遊びたいのに、制限されてしまう。、、、、、、。
これは、子供が遊ぶ。遊べる環境とはどういうものなのか 行政の担当者がわかっていなかったためなのでしょう。



*そもそも 遊ぶとは何なのか?

、、、、、、人間には、2つの基本欲求があります。
ひとつは無限に受け入れてもらいたい欲求(母親との関係)
もうひとつは 興奮したい、神経を高ぶらせたいという欲求(父親の関係)で、これが”遊びの精神活動”の原点なんです。


*遊びのための大きな条件は3つ

1、自発的であること
 強制されるのではなく、自分で考えて、工夫して、責任も取る。
大人がこどもに、遊びのきっかけを与えるのは大切ですが、遊び方を指示してはいけません。

2、遊びの目的にはなるべく商品や、報酬がないほうがいい。
 プロのサッカー選手ではなく、子供たちは、サッカーで遊びたいからサッカーをする。遊び自体が目的である。

3、遊ぶときにはどれだけ、精神や身体を集中できるか。
そのための環境も必要。


*テレビゲームに何が欠けてる?



*身体を使う遊びが想像力を育てる。


*遊びの力は心と身体に蓄えられる。


*子供と一緒に面白がる。

、、、、、モンテッソーリの保育の考え方に、敏感期というのがあります。
敏感期というのは、子供が何かに興味を持つ時期のことです。たとえば、水遊びをしたくてたまらない時期には思う存分にさせたあげる。そうすれば、それを卒業する時期がくるという考え方です。やり切ったと満足すると卒業する、、これが発達なのです。
 おおらかになるためには、親も”自分の中の子供心”を活発化させましょう。
、、、、、。


*真剣な遊びの延長には、、、、。

一生懸命遊ぶことによって、子供の人生が作られるんだという価値観を親が持ってほしいですね。遊びは、その先にあることの準備段階なのです。
遊びVS勉強ではなくて、真剣に遊んだ延長に、”まじめ”や勉強があるんです。
、、、、、、、
是非、子供たちの遊びを見て、その遊びが子供たちの欲求の何を満たしているかを考えて下さい。

とまあこんな感じの内容でした。、。

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子供の遊びは、本来 {危ない、うるさい、汚い}の三拍子そろった、大人から見るとハラハラするもの。でも、その中に(試してみて失敗する、工夫してやり遂げる、一人でじっくり、仲間とワイワイ、小さな怪我を繰り返しながら、本能的に身を守る)というような、さまざまな体験が含まれます。
 でも、たとえば公園には登れるような木はないし、原っぱや、雑木林も姿を消しつつあります。そして、少しのケガや事故でも、すぐ他人の責任を追及してしまう風潮もあります。
 こんな大人の態度が、子供たちの生活の体験を、すごく狭くしているのではないか、、、、。そんな反省点が私たちの出発点です。

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   ●子供の <社会力> を 育てる。

筑波学院大学学長 門脇厚司

1、子供の発達に見られる異変とは。
  三間(さんま)がなくなった。
   。。。(あそぶ)時間の間
   。。。     空間の間
   。。。     仲間の間
 あそぶ意欲をなくす。

  *社会力のおおもとの育ち損ね、、、他者への無関心、愛着心と信頼感の欠如
                   人間嫌い、非社会化

  *脳機能の劣化、、、、意欲の低下、学力の低下

 ◎子供の持って生まれた時の生命力は 人環境に対応する力。
  人との交わりをしていくために 先天的に備わっている能力。
  もともと社会力を ある程度もって生まれてくる。

  遊びの行為を通じて その結果、他者への関心を持つ。そこに大人がまた応答する。その繰り返しが、愛着や、信頼感をつくっていく。

  もともと持っている能力をフル稼働できる環境さえあれば社会力は自然に身につく。

 2、どうして 子供が変わってしまったのか。
 
  *多様な他者との交わり不足(三間が無くなった)

  *テレビ、ゲーム、パソコンなどとの過剰接触。(物との交わり)

  *五感をフル稼働させる実体験不足

 ◎ 脳の中の前頭連合野は社会力をつける機能が備わっているVだが、テレビなどには、ここへの刺激がまったくないことが判明されている。すなわち、そればかりに時間をとられていると、社会力がつかない大人になってしまう。

 例) 子供に、あれを持ってきてといっても、あれがどこにあるのかわからない。もってこれない。応答、返答がない。。。。
    大人と目を合わせられない。。。。。など、

そういうときは、まず、1週間以上、テレビや、ゲーム、パソコンを見せない、使わせないというキャンペーンを、小児科医師会でしているそうです。そうすることで、その時間を、他人と交わることにより、社会力が取り戻せることに繋がる。


3、「子供が (あそぶ) 」とはどういうことか

 *五感を通して、さまざまな情報を次々に脳に送り込んでいること。
   ・・・・・全身を使って、{学習}していること。。。脳の機能を高めていること。
  
  ◎遊んでいる行為は = 人と、物との相互行為をしている

  例) 赤ちゃんが離乳食を食べる。
     食べ物に、手を入れる。ひっくり返して手で引っ掻き回す。
     。。。。五感を使っている。
     このとき、赤ちゃんの脳には 事件が起きている状態。
     五感による情報がすざましいいきおいで ネットワークが作られている。

  
4、よく遊ぶ子は なぜ、賢くなるのか。
   
  *神経細胞のネットワークが緻密な脳は学習意欲を高め、学習効果を高めるから。

  *自分の体を使って(体験と通して)学んだ知識や記憶(エピソード記憶)こそ生きていく知識となるから。

5、社会力のある子供は どうして(幸せ)になれるのか。

  *他人(人間)が好きな人間は、人からも好かれるから。

  *多くの他人達といい関係を作り、普段の生活を楽しく送れること。

  。。。。このことこそ、人間にとって最も幸せなこと!



(( 子供を大事にするとは、、))

日本人の観念・・・何もさせない。(経験させない)(あぶない)(無駄)
         苦労させない。
         =子供にとっては虐待していると同じ

IPA(国際遊び研究所)・・・その年齢に応じてさまざまな体験をさせること。
               =学び取り、ネットワークを形成している。


****子供は人(特に大人)との交わりは 物との交わりよりはるかに大切であり、有効、必要である。小さいときから、大人と交わりを持つこと。
子育て長屋の生活。

<参考図書> 門脇厚司 「子供の社会力」ほか多数
これは、特別講演会に参加したときの内容です。
  
    
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(こんなことやってます)
ゴザや、ダンボールで隠れ家を作る子。
手作りハンモックを木につるす子。
ひたすら大穴を掘る中学生。
竹細工に熱中するお父さん。
ベーゴマまわし、崖すべり、焼いも、あそぼうパン、、、。
何もしないでただ、ボーっとしている人、、、。
色々な世代が、(遊び)を通じ出会っています。(遊び)は初対面であるとか世代が違うとかいう壁をらくらくと乗り越えさせ、人と人をつなげてくれます。

(あそび)に決まった形はありません。ただ、じぶんの「やりたい]という思いが動機となっていれば、どんなものであっても、それはすべて「あそび」なのだと思います。
 逆に外見上は遊んでいるように見えても、それを誰かから強制されてやっているのであれば、決してそれは「あそび」とはいえないと思います。
 だから、こども達にこのような本当の、「あそび」を体験してもらうためには、私たち大人が大人の基準で子供たちを「評価」するのを止めて、こども達に自由な時間を返してあげることが必要だと思います。
 そして、それ以上大切なことは、私たち大人が、いつのまにか見失ってしまった「自分のやりたいこと」を再発見することではないでしょうか。大人が遊べるようになれば、子供たちもきっと、遊びを取り戻すにちがいありません。
  「みんなあそぼうよ!」
「箕面子供の遊びを考える会」児玉様の記事より。抜粋形式。

私も、上の子が2歳のとき、目の前にある老人福祉センターで、ボランテイアをしていたときの動機と一緒です。そして、世代を超えた公園での遊びや、集いがしたいというのも、おなじです。だから、おそとであそぼを企画してみたんです。規模はまったく違うにしても、懐かしいときを思い出すのも悪くないですよね。

結局のところ大人も遊びを忘れるべからずって感じでしょうか。
(遊び心を忘れないで)


5歳の娘が私との会話の中で、
(ママは、いい匂いがする葉っぱ知ってる?公園にあるよ!!
土もいいー匂いがするんだよ。知ってる?)
と、話をしてくれました。
まさに五感を使って体験しているんだなーと、
いつもいつも、しかってばかりいる娘だけにすごくうれしい一言でした。



 


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